具合が悪い時〜
年明けにいくつか人前で演奏する機会があった。

1.体調問題なし、精神がピリピリ

まあ、緊張がもたらすものなのでしょうがないと言えるか。直前までになんとか心を整えることができれば問題なし。

2.心身ともに問題なし

言うことなし。

演奏中に冷静に物事を把握しつつ、楽曲に没入できると、楽曲の作りそれ自体が高揚感プラス緊張感を与えてくれるので演奏していて非常に気分のよい体験となる。
作曲家と対話をしているような気分になることも。

3.風邪で熱があって聴覚にも難アリ

これはまず身を起こしていること自体がキツイ。
それと音がきちんと聞こえないので場面ごとに適切な音色を作るということがうまくいかない。最初に音を聞く立場でありながら音がわからないのだから。

運動的な側面だと、指がもつれるどころではなく、色々なことが制御の範囲外でただただ苦しい。
聞いてくださってる人はもっと苦しいかも…。

さらにキツイのはアンサンブルで、ザッツを出してくれるのがうまくキャッチできない、そして熱暴走によってわたしのほうがテンポ急いでるなどなど。

以上の事例は時系列順のできごとなのだが、3番のは本当に反省しきり、という感じでした。
何事も体が資本ですね。トホホ…
N響B定期
例によって一日中電話をかけつづけてチケットをげっとして行ってまいりました。

◆プログラム
・ヒンデミット:ウェーバの主題による交響的変容
・プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番
 (ラフマニノフ:前奏曲op.32-12 ※15日のみ)
・バルトーク:管弦楽のための協奏曲
指揮:デュトワ/ピアノ:ルガンスキー

まずはデュトワ指揮の際のN響のやる気に満ちたクオリティの高さ。指揮者に対する敬意のほどがこうもわかりやすいオーケストラもそうそうないのでは。

そしてルガンスキー。すごすぎる。速いと評判のテンポの設定は以前コンセルトヘボウなんかでやってた時と同じような感じだったんだが、やはり緩徐部分で音楽の中身の充実具合が凄い。N響定期にさきがけて開催された渋谷のタワーレコードであったインストアライブでもそうだったのだが、音の出し方というか、空気の作り方というか、あまり使いたくない言葉だが楽曲を通じた精神性(やだっ、宇野某みたい…)、というか次元が違う。あんな曲を演奏し終えたのに涼やかに笑ってるのもまた凄い。というか怖い。

ひとつとても残念だったことがある。両日チケットは完売したはずなのに、外にはダメ元で当日券を待機してみる人たちが列をなしている。中に入ってみると空席が結構あった。少し前まではB定期は当日行ってみると結構なんとかなったし、他のオーケストラだと招待席の空いた分を当日券にする、などの制度がある。
音楽を熱望する方がちゃんとありつけるような演奏会にならないだろうか。オーケストラを末長く支えていくのは惰性でお金を払ってネムリに来る人たちではなく、やはり音楽を強く愛する人たちであるはず。改善を願いたい。
エリック・ル・サージュのマスタークラス@仙川アヴェニュー
ル・サージュといえば、プーランク全集がお財布にやさしい人、
ル・サージュといえば、室内楽もよくやってる人、
ル・サージュといえば、ローマ字読みしてサゲ、
などのイメージがありました。

室内楽のコマもあったこの日は通訳の方と会場の距離もほどよい具合に近く、聴講していて実に面白かったです。特に、アンサンブルの際のピアニストは共演者の影に隠れて目立たないようにつとめるのではなく、共演者にエネルギーを与える存在であれ、という助言は目からウロコでした。それと、ピアニストに対しては手首を固めないで身体を合理的に使って音を出すというのを度々注意していたのも印象に残ります。

和音で跳躍する箇所の多い曲では手をその和音の形にしたまま固めず、都度エネルギーは解放して高い位置から手を落とすとその際に生じる速度によって楽器をよりよく鳴らすことができる、目の見えない侍の映画のように勇気を持って。サトイチ(Zato-ichi)?とも。

この日はマスタークラス終了後に会食もあったようで、留学を考える方たちのコネクションづくりとその提供、相談みたいな主旨も大いにあったんだと思いますが、なんて気さくでスバラシイんでしょう。
ミシェル・ベロフのマスタークラス
巣鴨の東音ホールで2日間にわたって開催されたマスタークラスの、2日目のほうを聴講してまいりました。通訳はオリヴィエ・ベラミによる評伝「マルタ・アルゲリッチ 子どもと魔法」のスバラシイ訳も手がけた藤本優子女史。

マスタークラス開催の目的は多々あると思うのですが、この日はどっちかというとわたくしたちはとある理念のもとこんな良い生徒(音楽家、ではなく)たちを育ててるんですよ、見てくださいベロフ先生、みたいのが主なのかな。
と、思う瞬間が多々ありました。

が、時間制限を気にせず、いかなる場合もまずは受講生を褒めてから細かく修正を入れていくスタイルゆえに、楽曲の偉大さを帰納法的に改めて思い知らされるという体験をすることができました。フレーズの作り方やその他基本的なことについて言及することも多く、今すぐ使える豆知識に富んでいて非常に有意義でした。
アヴデーエワのリサイタル@長野ホクト文化ホール
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昨年物議を醸しに醸したショパン・コンクールの結果。ナゼに◯◯◯は受賞にカスリもしない???などなど、わたくしも色々思ったものでした。特に、クルティシェフはクジ運に恵まれなかっただけではないのか、と今でも声を大にして言いたいくらいです(同様の納得行かない事例にこないだのチャイコンでのロマノフスキー)。

アヴデーエワはコンクールの配信やその直後の来日公演の放送なんかを見ると、凄いとは思うんだけど感動する、というのとは別、とでもいうような、研究の発表を聞いて「そこまで追求するなんて凄い」でとどまるようなそういう印象を持っていました。

が、やはりナマで聴いてみようというのと、あとはプログラムの組み方がとても興味深かったので東京公演に行けなかった分を他所で聴くこととなったのです。

ホクト文化ホールは少し前までは長野県民会館だったそうで、大・中・小の3つのホールを擁する建物のロビーには現オーナーによるきのこ学習コーナーなんかもあってちょっと面白い。ホール自体は地方都市によくあるタイプのものでした。

実際の演奏は、楽譜を徹底的に読み込んでそこからまた計算し尽くして楽曲を組み立てることによって作曲家の意図したポエムや歌心が再生される、というタイプで実にわたくしの好みのものでした。雰囲気に任せて弾き飛ばすようなことはせず、管理不行き届きな音やフレーズは出さない。ラヴェルのソナチネは特に彼女の人工美とでもいうような演奏スタイルと楽曲の性格が相まって実に素晴らしかったです。1楽章の緊張感の極みといったところで携帯電話が長く鳴り続けてとても残念だったのですが、ショパン・コンクールの本選で照明が落ちても動じなかった姐さんは今日も流石の集中力でした。

全体を通じてお客さんのマナーは少し残念でした。終始何かを書いてその紙をバサバサいわせる人がいたりなど(お前はエア審査員かよ…)。それでも後半のリストプログラムは彼女の集中力に会場が収斂されていくような雰囲気がありました。タンホイザー序曲みたいな曲だと演奏する側もついつい熱が入って、というようなことがありがちですが、最後の最後まで彼女は作曲家に誠実に仕える立場で在り続けて、そういう精神面のコントロールも本当に凄いと思いました(コジュヒンもそういうかんじですね)。

アンコールはショパンのマズルカを3つ。アンコールでも楽曲をその場のメランコリーやソノリティのおもちゃにせず、演奏それ自体もそうですが、音楽家としての姿勢に大いに感服させられました。

ショパン・コンクールの覇者はドイツ・グラモフォンと契約するのが定番ですが、彼女はまだ録音の話題がないですね。今のところ出ているCDもコンクールの実況録音なわけで。そういう慎重さ(?)も今後が楽しみだ、の要素です。それとマスタークラスが開催されることがあったら是非聴講してみたい。

今後も末長く追いかけたい音楽家の一人にまた出会うことができました。